ベーシスト、作詞曲編曲家。てつ100%でCBSソニーからデビュー。 解散後、小泉今日子、モダンチョキチョズ、松浦亜弥、中澤裕子、吉澤ひとみ(敬称略)などのサポート。
by かじやん
考えてみれば
自分が現実だと思っているものは、実は現実を自分の想像で解釈したものに過ぎなくて、それって真実とはまったく違ったりするんだなって思いました。
たとえば、彼女は自分のことを嫌っていると思うのは自分の想像であって、彼女に確かめない限り真実かどうかはわからない。
自分のやっていることが世間にとって価値がないと思うのは自分の想像であって、世間に確かめない限り真実ではない。
相手が人間でなくとも、自然が破壊されていく現実を見て世界は終わると思うのも自分の想像であって、最後まで見届けなければ真実とは言えない。
つまり想像、空想、妄想の段階で現実の解釈を確定してしまうと、現実はいわゆる現実ではなくなってしまうのです。
この段階で現実だと思っているものは実は自分の想像であり、その想像が特別な意味など持っていない現実に色をつけてしまうのです。
そしてその想像を信じることで個人は個人の現実を作り上げてしまう。
だから、いま見てる現実は自分の想像したもの、信じたものを見ているだけなのです。
それはひょっとしたら、本当の真実とはまったく違うものなのかもしれないのです。
だからこそ、自分の思い込みを捨てて、理性的に観察する必要があるのです。
そして自分の解釈だけで断定せず、同じ現実の中にいる他者の見解を聞くことが大事です。
現実を見て悲観的な思いにとらわれるなら、きっとそこに自分の悲観的な想像があるのです。
それは現実とはなんの関係もない。自分が自分の想像で生み出した独自の現実なのです。
そしてもしそんな思いにとどまるのが不快ならば、その想像をやめる努力をすべきです。
では、どう努力するのか?
その現実を共有する人に自分の想像を話し、それが当たっているかどうか確かめること。
自分が信じている価値を行動で世間に問うて、賛同を得られるかどうか確かめること。
仮定を証明する科学者のように実地に検分してみることです。
否定的な現実の想像は疑いを増大させます。
それは本人が信じるすべての対象に及びます。
今まで価値があると信じていたものが信じられなくなります。
それは進むべき道を見失わせ、歩く希望を奪います。
そしてやがて健康まで損なうのです。
この循環から自分を救い出せるのは自分しかありません。
世界がなぜ暗く見えるようになったのか?
人をなぜ信用しなくなったのか?
その発端は、そのとき感じた感情を現実だと思い込んでしまったところにあるのではないでしょうか。
同じ現実でも違う感情で見れば、その様相はまったく違って見えるでしょう。
その時に抱いた感情によって現実は想像され、決めつけられ、当人の現実として本当に創造されてしまいます。。
この、感情→想像→確定→創造のプロセスには客観性に必要な行為が一つ欠けています。
それは想像の検証です。
現実を確定してしまう前にこれがないと、現実は身勝手な思い込み一色になってしまいます。
想像はあくまで独自の感情から生まれた産物です。
独自の感情が生み出した想像は、そこに経験から得たデータが加味されたとしても、やはり独自の想像に過ぎず、ここには必ず偏りが生じます。
これを是正するのが他者の想像との比較です。
自分の感情で眺め、想像した現実の姿を、共有する他者に描写し、表明し、比較する。
この行為を先ほどのプロセスに入れることで現実は否定的な配色をずいぶんと免れることができるでしょう。
と、仮定したとこで、検証に入りたいと思います。
たとえば、彼女は自分のことを嫌っていると思うのは自分の想像であって、彼女に確かめない限り真実かどうかはわからない。
自分のやっていることが世間にとって価値がないと思うのは自分の想像であって、世間に確かめない限り真実ではない。
相手が人間でなくとも、自然が破壊されていく現実を見て世界は終わると思うのも自分の想像であって、最後まで見届けなければ真実とは言えない。
つまり想像、空想、妄想の段階で現実の解釈を確定してしまうと、現実はいわゆる現実ではなくなってしまうのです。
この段階で現実だと思っているものは実は自分の想像であり、その想像が特別な意味など持っていない現実に色をつけてしまうのです。
そしてその想像を信じることで個人は個人の現実を作り上げてしまう。
だから、いま見てる現実は自分の想像したもの、信じたものを見ているだけなのです。
それはひょっとしたら、本当の真実とはまったく違うものなのかもしれないのです。
だからこそ、自分の思い込みを捨てて、理性的に観察する必要があるのです。
そして自分の解釈だけで断定せず、同じ現実の中にいる他者の見解を聞くことが大事です。
現実を見て悲観的な思いにとらわれるなら、きっとそこに自分の悲観的な想像があるのです。
それは現実とはなんの関係もない。自分が自分の想像で生み出した独自の現実なのです。
そしてもしそんな思いにとどまるのが不快ならば、その想像をやめる努力をすべきです。
では、どう努力するのか?
その現実を共有する人に自分の想像を話し、それが当たっているかどうか確かめること。
自分が信じている価値を行動で世間に問うて、賛同を得られるかどうか確かめること。
仮定を証明する科学者のように実地に検分してみることです。
否定的な現実の想像は疑いを増大させます。
それは本人が信じるすべての対象に及びます。
今まで価値があると信じていたものが信じられなくなります。
それは進むべき道を見失わせ、歩く希望を奪います。
そしてやがて健康まで損なうのです。
この循環から自分を救い出せるのは自分しかありません。
世界がなぜ暗く見えるようになったのか?
人をなぜ信用しなくなったのか?
その発端は、そのとき感じた感情を現実だと思い込んでしまったところにあるのではないでしょうか。
同じ現実でも違う感情で見れば、その様相はまったく違って見えるでしょう。
その時に抱いた感情によって現実は想像され、決めつけられ、当人の現実として本当に創造されてしまいます。。
この、感情→想像→確定→創造のプロセスには客観性に必要な行為が一つ欠けています。
それは想像の検証です。
現実を確定してしまう前にこれがないと、現実は身勝手な思い込み一色になってしまいます。
想像はあくまで独自の感情から生まれた産物です。
独自の感情が生み出した想像は、そこに経験から得たデータが加味されたとしても、やはり独自の想像に過ぎず、ここには必ず偏りが生じます。
これを是正するのが他者の想像との比較です。
自分の感情で眺め、想像した現実の姿を、共有する他者に描写し、表明し、比較する。
この行為を先ほどのプロセスに入れることで現実は否定的な配色をずいぶんと免れることができるでしょう。
と、仮定したとこで、検証に入りたいと思います。
by hidekikajino
| 2012-03-07 06:49
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